”流れの落ち葉”4 入社3
写真は池田で撮影された”照る照る家族”のセットです。
昭和37年3月中、家までの通勤時間が長く朝も早いので寄り道も出来ない毎日が
始まった。 その頃の工場は余程のことが無い限り残業が無く午後5時30分に終わり
バス、電車で帰宅するのであった。 これがくそ真面目の日々であった。
4級技能員になった僕鶏太は相変わらず百大さんの横で動作修理に励むのであった。
「おい、藤木君昨日は何台修理したんや」
「はい、百大さんやっと100台は行きましたが」
「まだまだやなー、わしゃ150台は行っているでー」
「そらー、百大さん経験が違うやんか」
「まあー、頑張りやー」
その頃、工場は私がいる第一コンベヤーは6石か8石のバリコン直接手回しの
1バンドラジオ、第二コンベヤーでは円盤型レコードプレヤー付きラジオを生産
していた。 動作修理と言うのは組み上がった基盤を動作検査している女子検査
員がハネタ基盤を直している。
手差しパーツを組み終わった基盤は半田リーピング層に手で注意をしながら
裏に半田を薄く装着させていくのです。 それで半田タッチとか、パターン間に
パーツのリード線くずが、細い一本として残りショートして無音になるのです。
それをテスターで探して直すのです。 半田タッチは目ですぐ分かります。
6石とか8石と言うのは、そこ頃まだゲルマニュウ トランジスターで大量に
入集するのは大変で、社長以下の苦労を忍ばれます。
サアサア、3月25日初めての社会人での待望の給料日、ウン-何かおかしい。
思う額が少ない。 思ったら直ぐ行動するのがくそ真面目人間、門脇の総務部に
飛んでいきました。
「あの、すいませんが給料のことでお聞きしたいのですが。」
「すんません、平さん、この子何か給料で聞きたいんやてー」前での女の人
「あんた、何が分かれへんのやー」と少し太った女の人が出てきました。
「はい、通勤費のことで計算したより少ないのですが?」
「何々、あんたどこから通っているのや-、そうかーこの額やったら
少ないなー、ふーんーバス代請求したんかいなー」
「あー、そやバス代請求していませんでしたわ、すいませんでした。」
「分ったか、良く確認するんやでー、あんたも新入りやから社会を
勉強するんやでー、頑張りなー」
「はい、分かりました。」
なんと、なんとこのお方が社長、今の会長の奥様であった。 知らん者は強い
者や、ラジオ技術に入るまで知りませんでした。
何故なら、くそ真面目人間、会社と家の直向で付き合いも悪く、わざわざ教えて
くれる人も居なっかたからです。
そんな日々を過ごす鶏太であった。
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