”流れの落ち葉”23 技術7 福山出張
”流れの落ち葉”23 技術7 福山出張
写真は今の呉羽座で、猪名川縁にあった古い呉羽座は愛知県の
明治村に移設されています。
「あのー、加茂農協に行ってくれますカー。」
「加茂農協、それ何所ですかー」
「えー、加茂農協知らんのですかー、
おかしいなー会社でそう言えと聞いてきたのですがー」
「ちょっと、待って下さい会社に聞きますワー、」ザーザーとマイクで
「おーい、加茂農協て何所やー、ナニー船渡電機の前やテー。
お客さん、加茂農協分かりましたー」
「運チャン、その船渡電機ヤー」
「何や、最初から船渡電機というたら分かるのにー」
「エー加茂農協言うたら土地の建物やのにー、船渡電機は知っているノー」
「そらー、船渡電機さん言うたらお得意さんやからヨウシッテ居るワー」
そう、タクシーの運チャンは船渡電機を良く知っているのです。出張や、
バイヤー検品などで大勢が利用するからです。 一方、加茂農協には余程で
ないとタクシーを利用する人は居ないでしょう。
そして、タクシーは福山城横を通って田舎電車の踏切を渡り、だんだん山道に
入り込みます。 えー、こんな田舎に工場が有るんかいなと思う頃、立派な
工場と倉庫、社員寮等の建物の前に着きました。
そして、初めての工場出張で確か、 248F1 TFK だと思うのですが、指導が
始まりました。 しかし、工場での様子は思い出せないのですが、田舎電車
の駅近くの小さい旅館に指導が終わるまで泊まりました。
生産技術の頼政さんに車で送り迎えをしてもらった覚えが有りました。
「藤木さん、休みはどうするノン-」と頼政さん
「そやなー、福山城でも見てくるかな-」
「それに、尾道に四国まで見える山の展望台が有るんやデー」
「ヘエー、そこも良さそうヤナー」
「そうや、女の子もようけい、うろつてているデー」
「ふんーそら、えーえーナー」
と言うわけで福山城には行きましたが、尾道には仕事が忙しくなり
行けず仕舞いです。 本当に仕事の事は忘れました。
これが昭和42年頃の僕、藤木 鶏太の思い出です。
次回へ。 Y.F