流れ落ち葉36TFD9帰国
流れ落ち葉36TFD9帰国
早く早く帰りたい帰りたいの日々が続いて早一年、昭和49.6月頃、設計は
日本でする方が効率よいと言うことで、電気、機構設計メンバーの帰国が
決まりました。 また、台湾メンバーも日本式設計の段取りやパーツ手配の
要領も理解され、任せても大丈夫とのことでも有ります。
「おいー、ケイチャンちょっと来て、えいチャンも」と藤巴経理
「何ですかー」と私とえいチャン
「あのナー、君等は日本帰国が迫っているけどなー、
ちょっと台中に寄ってくれるかー」
「えーえー、何ですてー、台中にですかー」
「そうやー、台中のステレオ製品の不良が山とあるんや―」
「なんで、我々が行かなあかんのです」
「君等の技術で不良を沢山直して男を上げてきてんカー」
「そんなん、上げたくないワー」
写真は山の斜面を利用した五月山公園の滑り台です。
この様に台中工場で2ヶ月ステレオ修理に勤しみました。
仕事のことは置いといて、台中にはアメリカ軍基地が有り、
スナックにも兵隊が飲みに来ていました。
「ヘイ―、アメチャン飲んでる―」と私
「オーオー、あんたー酔ぱらてるネー大丈夫あるカー」
「大丈夫あるよー、カラオケ聞かせるからネー」
と”長崎は今日も雨だった”を歌い終わり、よろけると
「オー、大丈夫ないネー」と立ち上がり支えてくれた。
何と、何とー2メータは有るぐらいの背丈でオマケに黒チャンだった。
それでも親切でタクシーを拾ってくれて、心が通じ合うことは気分爽快で
手を振り合って笑顔で分かれた。
この様にして、台中での仕事も終わり日本へ無事帰国できました。
そして、オーデイオ技術としての全盛期を向かえて20年程を過ごし、
オーデイオ衰退に伴い最後の奉公を香港、中国、台湾への出張等で
残り5年の勤務が待っているのである。
次回へ。 Y.F