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流れ落ち葉38オーデイオ1争議

流れ落ち葉38オーデイオ1争議

 写真は阪急鉄橋から見た五月山で山の三角の地肌に夏は
大文字が点灯されます。

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 昭和49年9月頃、家から阪急に乗り、環状線京橋から片町線
野崎駅へ、そして会社に歩きで片道1時間30分の通勤が始まりました。
朝は何時も自分の机で新聞を広げて読んでいるんです。
そして、机の上を女事務員が拭いてくれるのですがある日。

 

「ちょっとネー、机拭くわよー」
「うん、有りがとうー頼むワー」
吹き終わってから、人の手の甲をぎゅうと常りおんねン。
「何すんねンー、あんたハー」
「ふん、この朴念ジンメー」

 

 そう、この子は私に気が有ったのに知らん顔されて腹が立ったのです。
だけど、まだ私は台湾小姐の幻から冷めずに居たのです。
そして、徳島で続いていた労働争議が本社にも飛び火したのです。
私ら、昭和37年組はバラバラに入社したのですが、昭和38年組は
まとまって入社し、いわゆる38組が出来ていました。
 そのメンバーを中心に組合が出来て、社員の待遇とか、ベースアップに
努めました。 また、世間でも国鉄、私鉄のストがあり、そう言う風潮
だったのです。 私も私鉄がスト時には同僚に車で送迎してもらいました。

 

「サンチャン、あんた組合の役員に入らっかたンー」
「俺ナー、どうも団体行動はナー」
「ふん―、同じ38組でも違うんやナー」
「そらー、人それぞれヤー」
「まあー、忙しならんでエーエーやんカー」

 

 そう、サンチャンとは職場違いだけで、同じ社内で会っていたのです。
そして、敷地内の広場をよくスクラムを組んでストライキを遣ったもんで、
そのうち、争議は世間も社内も収まりました。
それから、経営が落ち着いたのか、年一回の社員旅行が始まりました。 

次回へ。 Y.F