妄想街道3 続長白山

妄想街道3 続長白山

写真は池田の五月山です。

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目次   妄想街道1高野山--妄想街道2長白山--妄想街道3続長白山
掲載写真 1中山寺の馬頭観音院と白鳥塚古墳--2釈迦院本堂,護摩(不動

                   明王),修行大師像 

 

 今日も焼酎を一杯傾けながら、他に見るチャンネルのドラマが無いので
サンテレビの韓国ドラマ(ヨンゲソムン)を見ているのです。 筋は昔、
朝鮮半島では高句麗百済新羅の三国があり、そこに中国の随が絡んで
戦争をしていた。 随は高句麗との戦争に敗れ、混乱の後唐が出来て、新
羅が朝鮮3国を統一して朝鮮王朝を統一した話だと思うのだが。
 さてドラマでは随の皇祖文帝が衰えっつ有り、滅ぼされた燕国の姫が復
讐を画して太子(煬帝)に近づく所である。 その姫の妖艶なこと唐末期
楊貴妃の如くである。 歴史の流れを思い巡らすのも良いが、美女を見
るのも一連の癒やしである。

 

”なア~こんな美人がお前え見たいなぁチンチクリの所に来ると思うン~”
と母。
”そんなもん、蓋開けてみな分からん遣ろうン~”と僕。
”分かるも何も、最初から結論出ているやン~”と母。
”ふン~、そうかなア~”と僕。

 

 と良く母から愚痴られたもんヤ~。 それはさておいて、何時も見ていて
疑問に思うのだが日本はどうなっていたんやろカ~。

 

 妄想街道2長白山で述べたように神功皇后百済から戦勝して仏具を持ち
帰っている。 この頃、日本は倭といって(ウィキメディア・コモンズ
フリー百科事典)によると遣隋使(けんずいし)を推古朝の倭国(俀國)
が技術や制度を学ぶために隋に派遣した朝貢使のことをいう。
『隋書』東夷伝によると倭王が隋皇帝への国書に「日出ずる処の天子」と
自称したとあり、意気揚々であった。

 

日本 「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや。」
煬帝 「蛮夷(ばんい)の書、無礼なる者有り、復たもって聞する勿れ。」

 

 河出書房の世界の歴史7の大唐帝国でも調べてみた。 日本という名称が
使用されたのは遣唐使からである。 随の頃は倭と言い、中国の南北朝時代

北周軍閥将領の一人であった、随の皇祖文帝が中国を統一して、その

男である煬帝が兄を殺して皇帝に着いたのであるが、高句麗との戦争に敗

て内乱が起こり僅か27年で王朝は滅ぶのである。

 この混乱を治めたのが唐帝国で第一次遣唐使は、舒明天皇2年(630年)の
犬上御田鍬いぬかみのみたすき)の派遣によって始まった。
延暦23年(804年)、正規の遣唐使の留学僧として唐に渡った空海様は長安に
入り、密教の第七祖である唐長安青龍寺の恵果和尚を訪ね師事するのである。

 空海の風景(司馬遼太郎)によると唐を去るとき、皇帝順宗は空海の書を
読んで五筆和尚と呼んだという。

 

 ”あア~,空海様偉大なる哉ア~”

 

 ちなみにプログの”妄想街道”は司馬遼太郎の”街道を行く”からです。

ドラマを見ながら歴史に思いを馳せるのは私だけでは無いでしょう。

これでサンテレビの韓国ドラマ(ヨンゲソムン)を疑問無く見れます。

 

次回は妄想街道4甲山(兜山)です。