妄想街道5歌舞伎
妄想街道5歌舞伎
福岡ロボット博の母里友信人形(お国も、この様に傾いたか)
目次 妄想街道1高野山--妄想街道2長白山--妄想街道3続長白山
妄想街道4甲山(兜山)--妄想街道5歌舞伎
掲載写真 1中山寺の馬頭観音院と白鳥塚古墳--2釈迦院本堂,護摩堂(不動
明王),修行大師像-3池田の五月山--4中山寺の展望台より兜山
5福岡ロボット博の母里友信人形
先日、NHKのど自慢を見終わったら、その次に市川染五郎の歌舞伎
「鯉つかみ」がアメリカ・ラスベガスで史上初めて上演された模様が流
された。 染五郎さんの舞台や、湖上を走り廻わる姿に感銘を受けた。
屋号は高麗屋で思わず叫んでしまった。
”いよう~ンー高麗屋ンー”
(ウィキメディア・コモンズフリー百科事典より)によると歌舞伎と
いう名称の由来は、「傾く」の古語にあたる「傾く」(かぶく)の連用形
を名詞化した「かぶき」だといわれていたようで、戦国時代の終わり頃
から江戸時代の初頭にかけて京や江戸で流行し、派手な衣装や一風変わ
った異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることを指した語で、特
にそうした人たちのことを「かぶき者」と言われていた様です。
そうした「かぶき者」の派手な装いを取り入れた「かぶき踊り」が慶
長年間 1596年ー1615年 に京で一世を風靡し、これが今日に連なる伝統
芸能「かぶき」の語源となっている。
歌舞伎の元祖は”お国(今日でいう出雲阿国)”という女性が創始した
”かぶき踊り”であると言われ”かふきをとり"という名称が初めて記録
に現れるのは『慶長日件録』、慶長8年(1603年)5月6日の女院御所での
芸能を記録したものであると言われていた。
お国達の一座が「かぶき踊」という名称で踊りはじめたのはこの日から
そう遡らない頃と考えられていました。
焼酎を飲みながら、テレビを見ていると色々と妄想が沸き、インター
ネットで調べたりして年寄りの好奇心を満足せてくれます。
”幸わせやなア~ ”
次回は日曜4チャンネルの”ナポレオンの村”です。