妄想街道12 着物洗い張り籡(しんし)

妄想街道12 着物洗い張り籡(しんし)

写真は着物洗い張り籡(しんし)の見本です。

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目次 妄想街道1高野山--妄想街道2長白山--妄想街道3続長白山
   妄想街道4甲山(兜山)--妄想街道5歌舞--妄想街道6爆買い
   妄想街道7卑弥呼--妄想街道8腰痛被害--妄想街道9山の彼方に
   妄想街道10続高野山--妄想街道11高野山に勝頼の墓
   妄想街道12着物洗い張り籡(しんし)
掲載写真 1中山寺の馬頭観音院と白鳥塚古墳--2釈迦院本堂,護摩堂(不
   動明王),修行大師像-3池田の五月山--4中山寺の展望台より兜山
      5福岡ロボット博の母里友信人形--6池田の慈母観音菩薩
      7高野山入り口-8五月山近辺の野鳥-9吊り橋から見た山の彼方
      10高野山の山々-11奥の院への参道入り口-12籡(しんし)の見本


 先日、土曜の3/12日昼にテレビ大阪和風総本家「春の京都を支える職
人たち」が再放送されていた。何時もの如く焼酎を一杯引っ掛けながら見
ていると春の京都で、伝統文化を守るために日々奮闘している職人を大追
跡するなかで、”着物再生の技虹色!”で着物の縫い目をほどいて一枚の
長い反物にして、洗い張りする中で布幅を一定に保つ道具として細い竹棒
等の籡(しんし)が遣われていた。
 ウン~待てよ~昔、中学の頃お母はんが裏庭に反物を吊して籡で布幅を
広げていたで~。 急いで家捜しをしたら有ったで~。 


 そうや池田には呉の国から渡来し、機織技術を伝えたとされる織り姫・
穴織媛(あやはとりのひめ)と応神、仁徳天皇を祀っている上之宮さんが
有り、ちなみに姉、呉服媛は呉服神社に祀られていて下之宮さんと呼ばれ
ている。 ちなみに応神天皇の時代、機織・縫製技術を得るために呉の国
に派遣された猪名津彦命が,呉王に乞い連れ帰った呉服媛(くれはとりの
ひめ)・穴織媛(あやはとりのひめ)・兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)の4
姉妹のうち、池田の地に迎えられた呉服・穴織姉妹の姉、呉服媛が祀られ
ている。 猪名の港、現在の猪名川に架かる呉服橋と絹延橋の中間地点・
唐船ケ渕に機殿(はたどの)を建て、呉服媛を迎えた。 現在は中橋の北
側の河原の上部に「唐船が淵」という記念碑が立っています。
~インタ-ネットのウィキメディア・コモンズフリー百科事典より。~


 このような歴史背景から、母が行っていた池田の女学校では着物の洗い
張りを教えられ、昭和35年頃に私が目撃したのです。 
この頃はそれぞれの家で遣っていたようです。


以上