”流れの落ち葉”10 本社ビル2
”流れの落ち葉”10 本社ビル2
写真は池田駅前の照る照る広場です。
”流れの落ち葉”10 本社ビル2
昭和39年12月某日 初めてのクリスマス.パテイーが中川町の食堂と出荷トラックの
着台広場の間に紅白の幕を張り、食堂のテーブルを並べて盛大に催された。
1964.12.19 中川町でのX-Masパーテイが開かれました。
その頃の写真を見ても、僕の記憶でも、そこには出てこない。
スカイプ友達の井田さん(このお方煙草を吸わないゆえ、人の家に来ても僕が吸う時は他の部屋で吸ってくれるかと言う気さくなお方です。)の写真で確認して、
今でも時たま電話している下ヤーンやセンチャンは写っているのだが。
その頃も、くそ真面目な僕は仕事が終わったら直ぐに帰ったかも知れない。
覚えているのは4階食堂のクリスマス.パテイーで酔いつぶれた事。
昭和41年4月本社ビルが施工し、生産技術員に昇格していた。僕、藤木 鶏太は入社時に総務部長の松木さんに無線学校を卒業時に親父の顔で、その頃の佐藤義詮様より知事賞を貰っていたことを話したかいが有った。
親父は早山電機を営業部長で退社し、扇町で電気店を開いていて、可愛いご長男の為にコネを使って貰ってくれたのです。
そこで、ビル2階ではコンベヤー2本が引かれていて西端のコンベヤーに徳島から
引っ越しして来たテープレコーダーが流れていました。
そこの課長杉田さん、技術係長澤田さんが居らしゃった。 この二方と井田さん、
とうさん、竹本さんと僕等は今でも難波の居酒屋で飲む仲間です。
東側のコンベヤでは多バンドのラジオが流れており、そのコンベヤーで組立ラインの女子工員のパーツ点数を時間測定して調整いるのが僕の仕事であった。
そのラインの可愛いい女の子に引かれて、その子の時間は特に丁寧に測っていた。
生産係の女班長小原さんは言う。 中央が小原恵子さん左端が小原さん。
「あんた何であの子ばかりに時間を費やすやすんやー」
「そんあことないわー、皆ちゃんと測とるわいー」と僕
「あんた、あの子に気あるんと違う?」
「なに、阿呆なこと言うとんねん」
それが初めて手紙を出し、恋い焦がれた初恋の相手の向井さんであった。